あなたは、伝説のトレーダー、ヴィクター・ニーダーホッファーをご存知ですか?
あのヘッジファンドの帝王ジョージ・ソロスから、パートナーとして招かれるほどの優れたトレーダーであり、1996年まで驚異的な勝利を重ね、「世界一の投機家」と呼ばれたほどの人物です。
FXにまつわる用語を解説していく「FX専門用語解説」シリーズ、今回は人名です。稀代の名トレーダー、ヴィクター・ニーダーホッファーを取り上げながら、彼のもっていた “危うさ” から導き出される「FXの教訓」について解説していきます。
ニーダーホッファーを取り上げた、とても興味深い金融ドキュメンタリー動画も紹介しますので、ぜひご覧ください。
ヴィクター・ニーダーホッファー。その華麗なる経歴
ニーダーホッファーは、1943年12月10日生まれました。
彼の祖父は、1929年のニューヨーク株式市場の大暴落によって破産。このことが、その後のニーダーホッファーの姿とオーバーラップし、言いようのない気もちにさせられます。
文武両道の才人ニーダーホッファー
いつの時代にも、勉強もスポーツも万能な人間がいるものです。
ニーダーホッファーも文字通りの文武両道で、彼は特にスポーツに秀でていて、スカッシュの学生チャンピオンに5度も輝いたほど。
1962年にはハーバード大学へ入学しますが、そのときもスカッシュによる推薦入学だったといいます。大学では経済学を専攻し、その後、シカゴ大学で博士号を取得して他大学で准教授にまでなります。
そのころのニーダーホッファーは、市場の非合理性に関する論文をいくつも発表し、その内容の重要性が学界でも認められることとなり、アカデミックな世界で高い評価を得ます。
この時点では、周囲の目からは「優れた学者先生」というイメージだったと思われ、その後の投機家としての華々しさとは、大きくことなる印象があります。
ファンドを設立して相場キャリアをスタート
その後、ニーダーホッファーは学者としての道に見切りをつけて、1972年には自らの投資ファンドを設立し、1976年にはさらに資産運用のコンサルティング会社を設立。
それから1980年までの間に、ファンドで大きな利益を出すことに成功し、その成果は、ついにジョージ・ソロスの耳にも入ることとなります。
さすがは、のちに「世界一のトレーダー」と呼ばれるだけあって、キャリアのスタートから既に常人とは違うものを感じさせます。
ヘッジファンドの帝王、ジョージ・ソロスに招かれる
ニーダーホッファーの才能に目をつけた、天才投資家ジョージ・ソロス。
ソロスはニーダーホッファーを、ファンドのパートナーとして招き入れます。
彼は1982年から1990年までソロスのファンドで活躍し、のちに債券と為替部門の責任者を務めるまでになり、そこでもニーダーホッファーは大きな成果を上げ続けます。
やればやるだけ結果が出るという、「もう、誰にも止められない!」といったイケイケな様子がうかがえます。
いうまでもなく、ソロスはこのときのニーダーホッファーを高く評価しており、彼がソロスのファンドを去ったときには、「私のファンドから、私が首にしたのではなく去った初めての人物だ」と残念がるほどでした。
さらにソロスは、自分の息子をニーダーホッファーのファンドに就職させて、そこで学ばせているほどですから、その手腕への信頼がとても高かったことがよく分かります。
ジョージ・ソロスについては、以下の記事も参考にしてください。
解説記事 『ジョージ・ソロス』とは?ヘッジファンドの帝王のエピソードの数々
ニーダーホッファーのファンドは順調そのもの
こうした華麗な経歴とソロスからの厚い評価を背景に、ニーダーホッファーのファンドは着実に運用資金を集め、運用成績を上げていきました。
当時の運用成績は年率で毎年30%以上だったとされ、これは中~大規模なファンドとしては、異例に高い成績だったといえるものです。
さらにこの頃、彼は劇的な成功を収めています。
それは1994年の円高局面のとき、ニーダーホッファーは市場コンセンサスとは反対の「円安」に賭けて、一気に大勝負に出ます。
そしてこれが見事に大当たりとなって、このときも「さすがはニーダーホッファー……!」と、その勝負師としての鋭さにみな舌を巻いたといいます。
しかし、こうした「伸るか反るか」のトレードによる大成功は、危険な道へと進んでいく「悪魔の誘い」でもあったのです。
ニーダーホッファーに訪れた破滅の時──1997年アジア通貨危機
1997年、当時「アジアの奇跡」とまで呼ばれるほどの経済成長をとげていた国、タイ。
しかし為替レートの矛盾を突いたヘッジファンドによる売り仕掛けをきっかけに、経済崩壊へと進んでいきます。
タイの通貨「バーツ」の暴落を契機に、タイに注がれていた世界中の投機マネーが一斉に引き上げられ、その結果タイは経済破綻しIMFの管理下に置かれてしまいます(アジア通貨危機)。
その大きな事件のなかで、ニーダーホッファーは悪魔に手をひかれて、破滅への道を進んでいたのです。
とにかく、以下の動画を見てください。
その息をのむドラマティックな展開、そして敗残の将となったニーダーホッファーの生々しい独占インタビューに、あなたはきっと目が離せなくなるでしょう。
1997年10月27日、大暴落したニューヨーク証券取引所の様子から動画は始まります。
そして「大暴落の日、ニーダーホッファーが一日で50億円以上の損失を出した」というニュースが報じられ……
──いかがだったでしょうか?
破産してまだ間もない時期にインタビューされた映像なので、その目がうつろなのが何とも痛々しく、その衝撃の大きさを感じさせます。
大邸宅に所蔵されていた彼の銀製品のコレクションや古書などは、すべて追証の抵当として持っていかれ、部下として抱えていたトレーダーたちも去っていきました。
あのときニーダーホッファーが受けた痛みは、金銭的なものではなく、自分自身の強さが否定されたこと、さらにいえば、彼の全能感が否定されたことにあったのではないかと思います。
それにしても、この動画に登場する人物の豪華なことには目を見張るものがあります。
ジョージ・ソロスを筆頭に、ポール・サミュエルソン、ロバート マートン、さらには「ブラック-ショールズ方程式」と「LTCM(ロングターム・キャピタル・マネジメント)」で有名な、あのマイロン・ショールズまで登場します。
ニーダーホッファーはなぜ破滅してしまったのか?
アジア通貨危機での破滅のとき、ニーダーホッファーは何をしていたのかを整理してみましょう。
- アジア株式市場の強い下降トレンドに、真っ向から逆らった。
- 沈みかけた船となった自分のポジションに、大きなナンピンをした。
- プットの売りポジションへのリスクヘッジをしていなかった。
ニーダーホッファーのアジア通貨危機でのトレードの特徴としては、こういったものが上げられます。
投機の天才と呼ばれた男には失礼ながら、こうしてみると、いわゆる「負け続けるトレーダー」と同じものを感じてしまいます。
いうなれば、必敗の法則に沿ったトレードです。
トレンドからの反転を狙った一発勝負や、大きくナンピンすること、さらにはリスクヘッジをしないこと。
これらを続けていると確かに多くの場合、一時的にはその勇気に見合う以上の成果が得られるかもしれません。
しかしそれは──いつか必ず──破滅のときを迎えるものなのです。
そしてニーダーホッファーもその例外ではなかった、ということです。
極めつけは、ニーダーホッファーのポジションが強制ロスカットとなったその日、相場は彼の思惑通り、大きく上昇していったことです。
これも「FX初心者あるある」として有名な、「あなたの売ったそこが底」というもので、このとき、スーパーベテラントレーダーである彼の心中は、いかほどだったでしょうか。
※オプションの売りのメリットと、その大きなリスクについては、以下のリンク先が参考になります。
参考情報 オプションの売りで利益を得る
※ナンピンのリスクや、ナンピンを戦術的につかう方法については、以下の記事をどうぞ。
解説記事 『FXのナンピン』とは?その意味を理解して戦術的にエントリーする方法
不死鳥のニーダーホッファー。そして再び悲劇へ
一度は破綻したニーダーホッファー。
しかし彼は、そのままでは終わりませんでした。
「彼の才能は本物だ。今回はあと少しだけ資金が足りなかっただけだ」──そう考えたのかどうかはともかく、彼の賛同者たちの力によって、ニーダーホッファーは再び相場の世界へ返り咲くのです。
ニーダーホッファー自身、私財を売り払い、大豪邸を担保に入れて作った資金を元に、再びファンドを設立します。
新しいファンドは2001年から2006年にかけて、これまた年率平均50%以上という、驚異的なパフォーマンスを出しながら運用を続けていきました。
そのズバ抜けた運用パフォーマンスは、2006年に「マーヘッジ(MarHedge)賞」が贈られるほどのものでした。
サブプライムローン問題に巻き込まれ、無念のファンド消滅
しかし、しかし、またです。
2007年のサブプライムローン問題によって、ニーダーホッファーのファンドからも次々と資金が引き上げられてしまいます。
ついに資金の75%が引き出されてしまった結果、2007年11月、彼のファンドは消滅することとなりました。
このときはニーダーホッファー自身にミスがあったわけではないようなので、その無念さも大きかったのではないでしょうか。
ニーダーホッファーから学ぶ教訓
ニーダーホッファーのトレードから見えてくるのは、その過剰なまでの勇気であり、そこから生まれる「大きなリスクを取る精神」です。
キャリアの初めからグイグイと成功の道を進んできたニーダーホッファーにとっては、その勇気は自然な原動力だったのかもしれません。
しかし撤退する勇気は、残念ながら少し足りなかったように感じられます。
「大きく稼ぐためには大きなリスクを取る必要がある」というのは、トレードの一面の真実ではありますが、どれだけ大きなリスクを取るにしても出口戦略(撤退・損切り)は徹底して考えておく必要があります。
ですがニーダーホッファーのような、いわゆる勝負師タイプのトレーダーは、ここが勝負どころと見るとアジア通貨危機のように全力でポジションをもつ傾向があるため、その結果は往々にして残念なものにならざるを得ません。
勝負師にとって「勝ち逃げ」というものは無く、大きくリスクを取って “勝ち続けること” に価値があり、そして大勝負を続ける以上はいずれ必ず負けてしまうのです。
だからこそ私たちは、FXを実践していく中で相場への畏怖を忘れず、「何ごとも起こり得るのだ」と肝に銘じて、リスク管理をおこない、トレードを続けること自体を重要視して、着実に利益を重ねていくことを大切にしたいものです。
以上、『ヴィクター・ニーダーホッファー』とは?その必敗のトレードを追う──でした。