FXに限らず、相場の世界を知る人のなかで、もっとも有名な人物のひとり、それがジョージ・ソロスです。
そのエピソードから、彼の人物像を追います。
FXにまつわる用語を解説していく「FX専門用語解説」シリーズ、この記事ではジョージ・ソロスを取り上げます。
ジョージ・ソロス、その生い立ちと人生
ジョージ・ソロスの生い立ちから、ヘッジファンドの帝王と呼ばれ、ついにイングランド銀行と対決する様子が、以下の動画にコンパクトにまとまっています。
ジョージ・ソロスを知るための、絶好の映像資料になっていますので、ぜひごらんください。
動画には、クォンタム・ファンドの共同経営者だったジム・ロジャースや、ファンドマネージャーのマイケル・カッツ、さらにはソロスの友人であるバイロン・ウィーンも登場し、ソロスについて語っています。
長い休止期間を経てトレードを再開したソロス
2011年1月、ダボス会議に出席していたジョージ・ソロスは、そこで「投資から引退すること」を表明していました。
しかし2016年6月に、ソロスがトレードを再開していることが報じられました。
参考リンク ソロス氏、トレーディング再開-世界経済に悲観的|WSJ
ソロスは大きな市場変動が迫っていることを予想し、弱気な大口トレードを自ら指示していたとのことです。
もう80代も半ばをこえた高齢のソロスですが、依然としてその影響力は大きく、そのポジショントークによって、自己達成予言的に実現してしまいかねません。
実際その後どうなったかというと、トランプ大統領の当選による上昇相場で、空売りのポジションが大きな損失となったようです。
2018年ダボス会議での演説
2018年1月22日から26日にかけて行われたダボス会議。
会議でジョージ・ソロスが演説した内容のなかで、興味深いものをピックアップしてみましょう。
「ソーシャルメディア企業は、ユーザの関心(attention)を操作して自らの利益の最大化に役立つよう仕向けている点で、ユーザを欺いている」
「その結果として、今のデジタル時代は、非常に有害でおそらく不可逆的な事態が、人間の注意力や意識に起きつつある」
「それは単に集中力の低下(distraction)や中毒に止まらない。ソーシャルメディア企業は、人々から自主自律の精神(autonomy)を奪いつつあるのである」
悲観主義者ソロスらしい、SNSへの批判が見て取れます。
「ジョージ・ソロスは危険人物だ」というレッテルも
ジョージ・ソロスには、「アメリカで唯一もっとも有害な左翼扇動家」というレッテルもあるようです。
その理由は、左翼活動に対して数十億ドルの支援をしたり、当時の大統領ジョージ・W・ブッシュを打倒するために、数百もの団体へ2000万ドル以上の支援をしていたためです。
他にも、様々な左翼活動へソロスの資金が用いられていることが明らかになっていて、こうした事実から、彼を危険視する意見がみられます。
ソロス自身の口からは、「国境を越える相対的な利益がある限り、国家の主権は国際法や国際機関の下に置かなければならない」とも語られていて、「大きく強い国家」へ批判的であることがうかがえます。
息子ロバートが語る、ジョージ・ソロスの面白エピソード
約4年前アイリッシュ・タイムズ紙に、ソロスの息子ロバート・ソロスのコメントが掲載されました。
そのなかで、父ジョージ・ソロスの面白いエピソードがでてきます。
父は、何故そんな投資をしたのか、何故こんな投資をしたのかについて理論的に説明してくれました。
しかし、まだ子どもだった私は、こう思ったのです。
「なんだ、父の話の半分は、単なるたわ言じゃないか。」(太字:引用者)
息子による、とてもストレートな感想です。
ソロスの経験に裏付けられた見解に対して、「たわごとだ」と一刀両断するのは、痛快さすら感じますね。
とはいえ、偉大すぎる父をもったことで、それへの反発やコンプレックスもあるのかもしれません。
しかし次の文章には、こちらも苦笑せざるをえません。
ある日突然、父は投資ポジションを変更すると言い出しました。
理由はひどい腰痛です。
全く論理的な理由ではありません。
父は発作的にこう言うのです。
「これは危険サインに間違いない。」(太字:引用者)
これが本当なら、「目のまえを黒猫が横切ったから決済する」といった、迷信レベルの判断が重要視されているということになります。
そして、この「ひどい腰痛のサイン」は、ソロス自身が「ポートフォリオの誤りへのサインだ」として、認めているのです。
この辺りのことは、常人を超えた人物ならではの何かがある、ということなのかもしれません。
脳科学や神経科学の研究を通じて、このような一見不合理なトレード判断の背景にあるものについての理解が進んでいるのもまた事実なので、単なる「とんでもエピソード」として片付けられない側面もあります。
こうした側面からトレードについて知りたい場合は、こちらの本が参考になります。
- 著者:リチャード・L・ピーターソン
ジョージ・ソロスといえば「ポンド危機」
ジョージ・ソロスは、1930年にハンガリーの首都ブダペストで生まれます。
第二次世界大戦、ナチスドイツによって戦火に覆われ、占領されたブダペスト。
ユダヤ人の家系に生まれたソロスにも、ユダヤ人虐殺の手が伸びてきますが、彼は父の機転によって他人になりすますことで、この危機を乗り切ります。
成人したソロスは、まずはイギリスへ、そこからアメリカへと渡り、ニューヨークでヘッジファンド・マネージャーとしての頭角を現していきました。
そしてデリバティブを駆使して、株式、商品先物、為替取引の3つの市場で投機をおこない、それらで大きな業績を残します。
盟友ジム・ロジャーズと共に立ち上げたヘッジファンド、「クォンタム・ファンド」での大成功が有名です。
ジョージ・ソロスとイングランド銀行とのバトルが開始
1992年、その頃のイギリスは、ERMという「ヨーロッパの為替レートが大きく変動しないようにする仕組み」に参加していました。
ERMに参加していたイギリス政府は、ヨーロッパ諸国との為替レートを一定の範囲内に収めるため、ポンド相場への為替介入などの方法をとって為替操作をしていました。
しかし当時のイギリスの経済は低迷していて、ポンドの価値は実体よりも過剰に評価されていたのです。
つまり、本当はポンドにそんな価値はないのに、為替レートだけが高い状態だったのです。
そこに目をつけたのが、ジョージ・ソロスでした。
「そんな状態のポンドは、いずれ大幅な切り下げに追い込まれるに違いない」──そう予測を立てたソロスは、1992年9月10日から、空前のポンド空売りを仕掛けたのです。
そのポジションの内容は、100億ドルのポンドの空売りと、60億ドルのマルクの買いでした。
イングランド銀行が本気を出すが、しかし……
この圧倒的な空前の空売りを受けて、イギリスのラモント財相は、イングランド銀行の外貨準備高を取り崩して、大規模な為替介入を実施、必死で「ポンドの買い支え」をおこないます。
ポンド相場のマネーバトルは熾烈を極めます。
9月16日には、イギリスが最後の切り札を出してきました。
それは何と、公定歩合を引き上げること。
それも16日の午前11時に「12%」へ、さらに同日午後2時15分には「15%」へ引き上げたのです。一日に二度も公定歩合を引き上げるという、まさに異例の措置です。
しかし必死の切り札も、その効果は限定的で、ポンドの上昇は続かず、すぐに下落へと転じます。
──そして、ポンドは大きく下落していき、ついに勝利の女神はジョージ・ソロスに微笑むことになりました。
こうして、文字通りイギリス国家と為替相場で戦ったソロスは、国家に勝った男「イングランド銀行を潰した男」として、その名を馳せることとなったのです。
その後のイギリス
その日、ソロスのポンド売りに屈することになったイギリス政府は、三度目の公定歩合の変更を行いました。
それは切り上げではなく、大きな切り下げ──つまり、低金利政策へと転換していったのです。
この、いわゆる『ポンド危機』の一件によって、イギリスはERMから離脱することにもなってしまいました。ERMからの離脱によって、その後の統一通貨ユーロとは、たもとを割ったままです。
イギリスではこうした屈辱から、1992年9月16日を『ブラック・ウェンズデー』と名付けたのでした。
以上、FX専門用語解説『ジョージ・ソロス』とは?ヘッジファンドの帝王のエピソードの数々について、お伝えしました。
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ヘッジファンドの他にも「プロップファーム」という運用組織があり、そこから学べる大切なことがあります。