ルーブル合意とは、1987年2月22日にフランス・パリのルーブル宮殿で開かれたG7(先進7か国蔵相・中央銀行総裁会議)での、為替レートの安定化を目指すことに関する国際合意のことです。
ルーブル宮殿にはアメリカ、イギリス、西ドイツ、フランス、イタリア、カナダ、日本の蔵相が一堂に集まり、プラザ合意から急激に進んだドル安に歯止めをかけるための協議が行われました。
当時の経済的な背景としては、ドル安によって米国内では貿易赤字が解消されたもののインフレの可能性が問題視され始め、貿易相手国側では急激な通貨高によって輸出産業が打撃を受け、日本では「円高不況」と呼ばれる不況への懸念が高まっていました。
プラザ合意前は1ドル=250円ほどだったものが、その後1~2年の間に150円にまで円高(ドル安)が進んでしまっていたのです。
こうした状況の中で行われたG7において「現行の為替レートでの安定」というルーブル合意が取り交わされたわけです。
しかし米国と日本の政策金利が調整されたものの、その後は欧州各国との足並みがそろわず、再びドル安へと推移していく結果になりました。
このような実情から、「ルーブル合意は破綻した」と実質的にみなされ、その後の1987年10月19日、米国株式市場は「ブラックマンデー」と呼ばれることになる大暴落へと至ります。
ブラックマンデーを経て米ドルはさらに急落し、ドル安が解消されるどころか更なるドル安へと突き進んでしまし、米国にとっては悪夢のような状況に陥ります。
その後、G7会合がワシントンで再び開かれたのですが、その時ドル円は、なんと120円台に至っており、空前の円高状態へと突入していたのです。
アメリカがドル安による苦悩の中にいるとき、日本では金融緩和策が積極的に取られ、ドル安(円高)の影響からの脱却を見せ始めていました。
金利の大幅な引き下げによって日本国内市場にリスクオンのセンチメント(ムード)が生まれたことにより、その後「バブル経済」と呼ばれることになる狂騒的なまでの不動産投資ブームが訪れることになります。
関連用語 米ドル、日本円、リーマンショック、メジャー通貨、変動為替相場制
以上、FX専門用語「ルーブル合意」の意味と解説についてお伝えしました。